紅白オマージュ

シュークリーム触ってるだけ

大晦日

2022年になってしまった。

晦日、私はTwitterのアカウントを削除した。(メモ)

 

 

晦日、神社役員である父は神社に詰めてお客の対応をしなければならなかった。

朝8時台から隣の地区へ竹を採りに行かねばならず(何に使うのか聞かずじまいだった。夜に燃やすため?)、竹を採ったあとは一旦家に帰り、またすぐに買い出しに出ねばならず(神社で夜に食べる蕎麦に添える天ぷら、参拝客に配るみかんなど)、昼食は家で食べて13時には神社へ行き設営の作業か何かがあり、終わり次第帰宅し夕飯を食べて仮眠し、21時までに神社へ集合し、朝まで詰めるというスケジュールだった。
大まかなスケジュールは前もって聞いていたが、「大晦日は食事は要らない」的な話を聞いていたので、そうなんだと思って昼も夜もなんにも用意しないつもりでいたら、当日になって昼も夕飯も家で食べることを知り、じゃあ用意しなきゃないじゃんと心づもりをしていた。とはいえ適当に温めたりではあるが、あらかじめサッと食べられるように火を入れたりしておかなければ、と。この日は父は時間で動く日であるから。私はわずかにプレッシャーだった。そういう小さなプレッシャーやストレスを、日々抱えているが他人には通じない話だと思う。(これ本当いつも思う)
この日も出かけるその都度、作業着だったり普通の服装だったりで服も靴も替わるので、父が自分で着替えたものを見て

「帽子はこっちじゃないと寒いでしょうが。こっちは耳当てが付いている。」

などとチェックしてあげなければいけない。大晦日から元旦にかけては直近で一番気温が低く、76歳が夜通し神社に詰めるのは過酷だと思った。
着ていくロングのダウンコートは、3日前に無理やり洗って3日かけて部屋干しで乾かした。これは夏からやらねばと思っていた作業だったが洗うのがとうとう3日前になってしまった私の気質…。古いロングのダウンコートは、去年、「作業着にしていいよ」と言ってしまったので父が泥と機械油を付けてしまっていた。このコートは何年も前に家族で神社に元朝参りに行ったときに火の粉で空いた穴が数か所ある、それもあって、もう冬の作業着に下そうと思ったわけだったが、今回神社の役員が回ってきてまた同様に火の粉を浴びるかもしれないのならこのコートで十分であろうと。しかし泥と機械油は落として着させたかった。クレンジングオイルなど駆使して汚れを取った。
「夜通し全く寝ないわけではない。夜は神社で雑魚寝程度の仮眠はする。」と聞いたのも当日の昼だった。

「寝られるの?寒くないわけ?」

と聞いたら

「まあ寒いからそんなに寝られないけど…そうだな、寝袋持ってくる人もいる。」

と言ったので、物置から私が使っていた安物の寝袋を持ってきて「これを持っていけ」と言って広げて使い方を教えた。母の入院中に病院で寝る際に何度か使ったものだ。

「袋に収納する仕方が分からなかったら、そのままバタンバタンと畳んで車に付けて持ってくるといい」

と伝えた。

昼はタラコのおにぎりを作った。念のため早めの10時頃に酢飯を冷ましながらシンクを漂白していたら買い出しから父が帰ってきて、

「まあまあお腹すいた。」

と言うので、急いでおにぎりを作って味噌汁を温めた。あとおかずはなにを出したんだっけ、床屋からもらった漬物だけだったか。ああ、当たったカタログギフトで頼んだ昆布巻を切って出したんだ。正月のフライング。

「夜はお好み焼きでいいか」

と聞いたらいいというので早めにキャベツを洗って千切りしておいた。ネギは、前日にフライングで年越しそば食べる際に使うので畑から掘ってきてあった。そのネギも細かく切っておいた。父はお好み焼きをいつもそんなに食べないのでこの日もそうだろうと思っていたが、気がそぞろだということもあってやっぱりあまり食べなかった。17時頃にお好み焼きを食べてソファで仮眠したが、落ち着かずすぐに起きて何かPCで作業したり、こっちも1日中ペースが引きずられた。

ペースが引きずられるのはいつものことだが。私は常にサポートの立場である。もう何年も。

21時めがけて出て行く間際、またいつものごとく「○○がない」と探し物が始まった。厚手の手袋。昼間に神社に行くときに持って行った耐切創の手袋が見当たらないという。

じゃあ私のを使えと、私の青い耐切創のグローブを渡した。Mサイズだが大きめだから入るだろう、と試させた。大丈夫そうだった。

やれやれと、お風呂を洗って準備しお風呂に入っていたら父が戻ってきて、脱衣所の戸越しに私に

「メガネ型のルーペがに当たらないから戻ってきた。」

と言った。メガネ型のルーペ、午前中も買い出しのときに一度忘れて「いま忘れて戻ってる」と電話が来たので私は玄関でそのルーペ入ったケース持って待っていた。今度はどこに行ったのか。結局見つからず父はまた神社へ向かった。

風呂から上がった後、私は自由だった。明日の朝まで1人だ。父のことはこの寒さで心配だが、居ないとペースが引きずられることもない、と。

そう思いつつも、明日の朝帰ってきたら雑煮が食べたいと言っていたなあと思って雑煮用に大根とニンジンとゴボウと油揚げと鶏肉を煮始めた。

ニンジンは、前日に蕎麦に入れるかき揚のために畑から掘ってきた残りのほんの小さい2本だけだった。最初は全部雑煮に入れようと思っていたが、待てよ、これでなますも作るか…と思って雑煮にはわずかに入れるだけにして、残りのニンジンの量でバランス的にちょうどいいぐらいの大根を用意して、ほんの少しのなますを作った。

正月用になます作るなんて何年振りか。生のジンジンと大根はナントカいう栄養素とナントカいう栄養素が喧嘩するから一緒に食べない方がいいんですよ的な豆知識を知ってから、なますは敬遠して作らなかった。マメ知識の続きとしては「しかし酢で和えると栄養素の喧嘩は防げるのでドレッシングで和えたりなますなら問題ない」と。それを知りつつもなますを作らない理由にしていた私であった。実に4,5年ぶりのなます。一度畑で凍ったニンジンなので、紅白なますとはいえオレンジが薄かった。でもいい、これで十分。

前々日に黒豆ぐらいは煮るかと思って激甘に煮たし、当たったカタログギフトで昆布巻は届いているし。例年より正月らしい正月になる。

 

そんなことをしていて12時近くにトイレへ行ったら水道が凍っていた。凍結防止のコンセント、寝るときに入れればいいかと思っていたがよく考えたらこの日は昼間からマイナス7度で、夜にはマイナス10℃になっていた。油断していた。私はヤカンで湯を沸かして何度もトイレを往復したが、溶けなかった。凍結防止のコンセントを入れておけばジワジワと溶けて朝にはタンクに水が溜まるだろう、と思って寝た。

 

朝、タンクに水がちゃんと溜まっていた。