紅白オマージュ

シュークリーム触ってるだけ

ひろゆきの夢part2おにぎり握手

ひろゆきと結婚する運びになった夢を見た。運びになったところまでは確実だったが最終的にどうなったかは知らない。

私はひろゆきと父を会せようと、父と近くのスーパーに行った。

スーパーの中の地下に通じる通路というかというかトンネルに続くような通路というか薄暗い通路に貼り紙がしてあり、そこに「東京フィルハーモニー特別公演特別価格3980円!」と書いてあって、私と父は

「あ!これって破格じゃない?買うか。」

と言い合った。

ま、フィルハーモニーは置いといてそんなことよりひろゆきに会わせなきゃないんだったと思って、私は1人で小走りに、その地下に通じる通路というかトンネルに続くような通路いうか薄暗い通路を通り抜けると、ベンチにちょこんとひろゆきが座っていた。そこはイートインスペースらしい。ひろゆきは焼きそばかなんかを食べていた。

遅れて到着した父に私は

「今日何日だっけ。」

と聞くと父は

「1月7日…チーズ…ズーチの日。」

と言った。1月7日がチーズの日なのかはさておき、父はチーズのことを普段から父なりの業界用語でズーチと呼ぶので

「ちょっと!外でその言い方やめて!」

とたしなめた。

その後、私は父に

「これがひろゆき。」

と紹介した。父は手に食べかけの大きなおにぎりを持っていた。中身は梅干しだった。

父はその食べかけの梅干しおにぎりを持ったまま、おにぎり越しにひろゆきに握手を求めた。

私は2人が今まさに握手しようという状況を見ながら(この握手が終わったら、それぞれの手を私がアルコール消毒してあげないと。コロナ禍だから。)と思った。そしておにぎりにも忘れずちゃんとアルコールを噴射しよう、と考えていた。

 

※今調べたらチーズの日は11月11日らしい。ポッキーの日でありチーズの日なのか。

 

ひろゆきの夢

夢にひろゆきがでてきた。

私ともう一人ぐらいに何か教えてくれているんだが、メモしようとしても早口で聴きとれず困ってたら、ひろゆきが自分でしゃべるために用意していた箇条書きのメモをさりげなく見せてくれて、それを書き写そうとしたが早く書き写そうとすればするほど焦り字がメチャメチャになって、それをひろゆきに間近で見られていることを意識して耐えられなかった。

メモを書き写す途中で、高い棚の上からものを取る必要があったので、私は狭い机に広げたメモの間に乗り上げて

「失礼します、」

と言って素早く棚の上から何かを取ったのだが、裸足だったので、足がにおわなかったかと足の指の毛が見えなかったかだとか爪の間に垢がはさまってなかったかとか年齢による爪の変色を見られなかったかだとかすごく気になって後悔した。だってひろゆきの顔とすごく近いところに私の裸足があったのだから。ひろゆきはあんなに頭がいいし一瞬で人を判断するし、私の足の汚さから人間性を一瞬で見抜いたであろうと。だから私はメモを取る作業に戻りながらもさりげなく素早く自分で自分の裸足の足に顔を近づけてニオイを嗅いで確かめたかったが、夏からの腰痛で腰が柔軟に動かずに断念。

一方、ひろゆきは私の背中を見て

「モレルダさんの肩甲骨は日本人離れしてるよね~」

と褒めてきたので、

「私は2歳のとき初めて家出したんですが、そのとき匍匐前進で出たのです。そういうことだと思います。」

と答えたら、納得したようなしてないような顔をしていた。

初売り

今年初めて買い物に出た。

マルイチ(スーパー)で今日までのレシートが懸賞の対象だった。3000円以上1口で応募できる。もう既に年末までのレシートで3000円単位で3口ほど準備出来てるもんだと思っていたが、計算間違いであと600円ほど必要だった。だから今日はぜったいにマルイチに行かなければならなかった。
銀鮭(チリ産)の規格外の切れ端を250円程度をカゴに入れ、ブルガリアヨーグルトの小さいの4個パックのやつが半額になっているのが2パックあったので迷わずカゴに入れた。あとなに買ったっけ。あ、鶏レバー70円/100gぐらいのを200円分ぐらい。

レバーはその後、夕飯までにコンフィもどきにした。私は鶏レバーはコンフィもどきしか作らない。ニンニクと炒めて(炒めるってことはすでにコンフィではない)、あればタマネギの薄切りも入れるが今タマネギは皆無なので、畑で雪の下になっている長ネギでも入れようかと思っていたが、そのときは畑から採って来るのが面倒で入れなかった。

しかしその後に雑煮を作るためにネギを掘ってきた。そして雑煮にしようと思ってはいたのだが、大根とゴボウと凍りかけの芋の子と油揚げを煮て、そこに年末が賞味期限の豚肉を入れたら、あれ?これって芋の子汁の方がいいのでは?あれ?雑煮と芋の子汁の違いは?特に違いなくない?と思って父に

「雑煮と芋の子汁どっちがいい?」

と聞くと

「どっちでもいいけど…じゃあ芋の子汁。」

と答えたので芋の子汁にした。年末が賞味期限のタラコもあったので、餅よりご飯を食べたかったし。その方がいいなと思った。

 

マルイチの話から夕飯の話まで駆け上がってしまったが、マルイチに行く前にサンデーにも行った。ホームセンター。

昨日今日が新春恒例の福引の日で、3000円で1回福引ができる。うちはいま時計不足。父の部屋にしか掛け時計がなくなった。あと全部壊れた。居間にないのがとても不便。だからこの機会に掛け時計を買おうと思っていた。

しかし、いくら福引が出来るとはいえ今まで正月の福引が当たったことは一度もない。サンデーで時計を見ながら我々はすぐ怖気づいてしまった。

「…Amazonで買うか。その方が安いべ…」

そう言って、何も買わずに店を出た。出がけに、入口で福引をしていた家族連れがいて、店員の伯母さんが

「あ!」

と言ってカランカラン!と鐘を鳴らした。

1等の5000円ギフトカードが出たのだなと思って数歩戻って様子を見ると、家族連れの子供が引いたのが当たったようだった。私は(良かったね)という気持ちよりも敗北感を感じた。私は怖気づいて何も買わなかったから敗北感を味わう権利はない。

店員が

「おめでとうございます」

と言って渡した商品は、小さい包みの米のお試し詰め合わせ(おそらくアイリスオーヤマ)だった。1等でなかったことに私はホッとして店を後にした。

帰宅してから、やっぱり時計とコピー用紙を買ってくるべきだっただろうか、カシオの掛け時計が1600円ぐらいでコピー用紙(箱)が1500円だったのでそれらを買えばすごく丁度良かったのに、と後悔して夕方まで悩んだ。もう夕方なので福引は終わっているかもしれない。行くべきか。

サンデーのアプリを開きデジタルチラシを見ると、5000円ギフトカードは「全店舗で800本」と書いてあった。

私は電卓を出してきて、東北の全店舗がいくつあるか計算した。いくつだったか忘れたが、単純計算で1店舗8本前後当たる計算だった(だったら全部で100店舗ぐらいだったか)。大きな店舗は本数も多く、小さい店舗は少なく振り分けられているだろう。あの店舗は新しいが、規模はどうだろう。当りは8本来てるかな、7本ぐらいかな。

 

そんな計算までしていたが、雪道で事故に遭うのも怖いので結局行かなかった。

大晦日

2022年になってしまった。

晦日、私はTwitterのアカウントを削除した。(メモ)

 

 

晦日、神社役員である父は神社に詰めてお客の対応をしなければならなかった。

朝8時台から隣の地区へ竹を採りに行かねばならず(何に使うのか聞かずじまいだった。夜に燃やすため?)、竹を採ったあとは一旦家に帰り、またすぐに買い出しに出ねばならず(神社で夜に食べる蕎麦に添える天ぷら、参拝客に配るみかんなど)、昼食は家で食べて13時には神社へ行き設営の作業か何かがあり、終わり次第帰宅し夕飯を食べて仮眠し、21時までに神社へ集合し、朝まで詰めるというスケジュールだった。
大まかなスケジュールは前もって聞いていたが、「大晦日は食事は要らない」的な話を聞いていたので、そうなんだと思って昼も夜もなんにも用意しないつもりでいたら、当日になって昼も夕飯も家で食べることを知り、じゃあ用意しなきゃないじゃんと心づもりをしていた。とはいえ適当に温めたりではあるが、あらかじめサッと食べられるように火を入れたりしておかなければ、と。この日は父は時間で動く日であるから。私はわずかにプレッシャーだった。そういう小さなプレッシャーやストレスを、日々抱えているが他人には通じない話だと思う。(これ本当いつも思う)
この日も出かけるその都度、作業着だったり普通の服装だったりで服も靴も替わるので、父が自分で着替えたものを見て

「帽子はこっちじゃないと寒いでしょうが。こっちは耳当てが付いている。」

などとチェックしてあげなければいけない。大晦日から元旦にかけては直近で一番気温が低く、76歳が夜通し神社に詰めるのは過酷だと思った。
着ていくロングのダウンコートは、3日前に無理やり洗って3日かけて部屋干しで乾かした。これは夏からやらねばと思っていた作業だったが洗うのがとうとう3日前になってしまった私の気質…。古いロングのダウンコートは、去年、「作業着にしていいよ」と言ってしまったので父が泥と機械油を付けてしまっていた。このコートは何年も前に家族で神社に元朝参りに行ったときに火の粉で空いた穴が数か所ある、それもあって、もう冬の作業着に下そうと思ったわけだったが、今回神社の役員が回ってきてまた同様に火の粉を浴びるかもしれないのならこのコートで十分であろうと。しかし泥と機械油は落として着させたかった。クレンジングオイルなど駆使して汚れを取った。
「夜通し全く寝ないわけではない。夜は神社で雑魚寝程度の仮眠はする。」と聞いたのも当日の昼だった。

「寝られるの?寒くないわけ?」

と聞いたら

「まあ寒いからそんなに寝られないけど…そうだな、寝袋持ってくる人もいる。」

と言ったので、物置から私が使っていた安物の寝袋を持ってきて「これを持っていけ」と言って広げて使い方を教えた。母の入院中に病院で寝る際に何度か使ったものだ。

「袋に収納する仕方が分からなかったら、そのままバタンバタンと畳んで車に付けて持ってくるといい」

と伝えた。

昼はタラコのおにぎりを作った。念のため早めの10時頃に酢飯を冷ましながらシンクを漂白していたら買い出しから父が帰ってきて、

「まあまあお腹すいた。」

と言うので、急いでおにぎりを作って味噌汁を温めた。あとおかずはなにを出したんだっけ、床屋からもらった漬物だけだったか。ああ、当たったカタログギフトで頼んだ昆布巻を切って出したんだ。正月のフライング。

「夜はお好み焼きでいいか」

と聞いたらいいというので早めにキャベツを洗って千切りしておいた。ネギは、前日にフライングで年越しそば食べる際に使うので畑から掘ってきてあった。そのネギも細かく切っておいた。父はお好み焼きをいつもそんなに食べないのでこの日もそうだろうと思っていたが、気がそぞろだということもあってやっぱりあまり食べなかった。17時頃にお好み焼きを食べてソファで仮眠したが、落ち着かずすぐに起きて何かPCで作業したり、こっちも1日中ペースが引きずられた。

ペースが引きずられるのはいつものことだが。私は常にサポートの立場である。もう何年も。

21時めがけて出て行く間際、またいつものごとく「○○がない」と探し物が始まった。厚手の手袋。昼間に神社に行くときに持って行った耐切創の手袋が見当たらないという。

じゃあ私のを使えと、私の青い耐切創のグローブを渡した。Mサイズだが大きめだから入るだろう、と試させた。大丈夫そうだった。

やれやれと、お風呂を洗って準備しお風呂に入っていたら父が戻ってきて、脱衣所の戸越しに私に

「メガネ型のルーペがに当たらないから戻ってきた。」

と言った。メガネ型のルーペ、午前中も買い出しのときに一度忘れて「いま忘れて戻ってる」と電話が来たので私は玄関でそのルーペ入ったケース持って待っていた。今度はどこに行ったのか。結局見つからず父はまた神社へ向かった。

風呂から上がった後、私は自由だった。明日の朝まで1人だ。父のことはこの寒さで心配だが、居ないとペースが引きずられることもない、と。

そう思いつつも、明日の朝帰ってきたら雑煮が食べたいと言っていたなあと思って雑煮用に大根とニンジンとゴボウと油揚げと鶏肉を煮始めた。

ニンジンは、前日に蕎麦に入れるかき揚のために畑から掘ってきた残りのほんの小さい2本だけだった。最初は全部雑煮に入れようと思っていたが、待てよ、これでなますも作るか…と思って雑煮にはわずかに入れるだけにして、残りのニンジンの量でバランス的にちょうどいいぐらいの大根を用意して、ほんの少しのなますを作った。

正月用になます作るなんて何年振りか。生のジンジンと大根はナントカいう栄養素とナントカいう栄養素が喧嘩するから一緒に食べない方がいいんですよ的な豆知識を知ってから、なますは敬遠して作らなかった。マメ知識の続きとしては「しかし酢で和えると栄養素の喧嘩は防げるのでドレッシングで和えたりなますなら問題ない」と。それを知りつつもなますを作らない理由にしていた私であった。実に4,5年ぶりのなます。一度畑で凍ったニンジンなので、紅白なますとはいえオレンジが薄かった。でもいい、これで十分。

前々日に黒豆ぐらいは煮るかと思って激甘に煮たし、当たったカタログギフトで昆布巻は届いているし。例年より正月らしい正月になる。

 

そんなことをしていて12時近くにトイレへ行ったら水道が凍っていた。凍結防止のコンセント、寝るときに入れればいいかと思っていたがよく考えたらこの日は昼間からマイナス7度で、夜にはマイナス10℃になっていた。油断していた。私はヤカンで湯を沸かして何度もトイレを往復したが、溶けなかった。凍結防止のコンセントを入れておけばジワジワと溶けて朝にはタンクに水が溜まるだろう、と思って寝た。

 

朝、タンクに水がちゃんと溜まっていた。

メモ

カタログギフトの昆布巻が届く。

明日から雪なので、畑のネギの白い部分露出しているところに土をかけたい。いまからやるか。

腰が痛い。右側。以前は左が弱かったが今年の夏から右の不調。